岡田斗司夫著「ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く」感想

以前知人と話していた際、いずれ二次元の世界に入り込めるようになればいいのにねという話題が出た。私はカッコつけたがりで中々本心を明かせない人間なので、いやほんとそのの願い叶ってあなたには幸せになってほしいわと冗談めかして言ったが、実のところ私も二次元の世界に入り込みたい。そしてこの本にも二次元のキャラクターとの結婚云々の話が書かれていて、ふーむなるほどと腑に落ちるところがあったのだ。

現実に生きる私たちは美男美女ばかりなわけが無いし、面白さや賢さ、強さに恵まれているわけでもない不完全で醜い生き物だ。でもそんな私たちの願望や理想が投影された二次元もしくはフィクション上のキャラクターなら私たちが失望することはないし、もし失望することがあっても「ま、所詮二次元だしね」で済ませることもできる。それどころか、もしもアンドロイドなり3dプロジェクター的に出てくるようなキャラクターだとしたら、ai機能を活かしてユーザーの好みや反応を学習してどんどん自分好みになるようなものだろうし、もはや現実の異性同性と付き合いをもつ必要もないのかもしれない。ただ、仮に二次元のキャラクターと生活を共にすることが当たり前の世の中になっても、今を生きる私たちは中々既存の価値観を捨てることができないから、血の通わない無機物と生活することに虚無感を感じてもおかしくないなと思う。そのような世の中が当たり前になったタイミングで生まれ育った世代にとってはそんなこと当たり前になるのだろうが。価値観考えたを常に柔軟に変えれるよう普段からトレーニングをしておかなければなあと思った。

後、これは色々なところで目にする意見だけれど、aiが行うのは行動や原理の提示までであって、その中から選択して責任を取るのはやはり人間だ云々の記述もあった。手塚治虫火の鳥では政治における全ての選択行動をaiが決定するという話になっていたが、現実においてはやはり人に最終決定を行ってほしいという人が多いのでは。とはいえ現実世界においても政治は民衆の意見を反映してるとは言い難いし、民主主義においても独裁政治みたいなことをやっている事例はたくさんある(例は思いつかない)。だったら人間の感情や好き嫌い抜きに判断できるaiに全て任せてしまってもいいんじゃんと思う私である。要するに自分の責任を委ねられる存在が欲しいだけの甘ちゃんなんだけどね。

あともう一つ。昔はどうなんだか知らないけれど、今の世の中キラキラした人生を送るのが当たり前!的な風潮に一石投じるような内容もあって面白かった。私は今も昔も世間が考えるキラキラした幸せとか、人様が一般的に叶えられるような幸せとは無縁な人間だ。だから今のポジティブイズベスト、個人の努力次第で幸せになれるよ!的な風潮が大嫌いだ。恋愛仕事友人家族親子老後趣味健康、どれも幸せのステレオタイプが世の中に蔓延っていて、それを追い求めるのが当たり前、弱者や悪い部分には目もくれず自分と自分と同じくらい幸せの人たちと仲良く楽しく過ごしましょうねーなどと言われているような気がしてならない。ただ生きていて、多少健康で、衣食住が満ち足りていて、少し趣味があればそれでいいじゃんと思う。なんでこんなにもっと人生を充実させましょう的な世の中になってるのか。不幸でも暗くても苦しくてもいいじゃないですか。とわざわざブログに書いて憂さ晴らししているあたり、私も上記の幸福最低源達成していればいいじゃん説を飲み込めてないんだろうな。はー早く人生生きてるだけで幸せ的考えを身につけたいものですよ。